2010/10/11
ナイーブさ
プログラマの三大美徳のひとつ、「傲慢さ (hubris)」がピンと来ない、 どっちかというと中二病が近いんじゃないか、って話:
私は逆に中二病というのにピンと来ないのだけれど、ある種のナイーブさ、 と言い換えるならばそれは必要なものだと思う。 (Larry Wallの言うhubrisともはちょっと違うとは思うけど。) 2番目のエントリで挙げられてる「バカさ」「若気の至り」がたぶんそれで、 「ものわかりの良さ」の反対側を向いたベクトル。 「こんなこととっくに誰か考えて実装してるんじゃないか」とか、 「こんな環境ではまともに動かせるわけないから手をださないでおこう」という具合に ごちゃごちゃ考えることをせずに、ごりごりっと書いてしまうような態度。
確かPaul Grahamが、熱意に突き動かされて向こう見ずにがーっと実装して、 一晩あけたら冷静になってコードを見直す、その両方が必要だってどっかで 書いてたと思うけど、前者の態度がこのナイーブさに当たると思う。
こういう「バカさ」が歳と共に失われがちになる要因にはいくつかあるだろう。 経験を積むことで「ものわかり良く」なってしまうこと。体力の低下。 責任ある立場になってしまって立場上冒険がやりにくくなること。
残された時間が気になりはじめる、というのもあるかも。 10代20代には自分の人生の残り時間なんてほとんど気にならないけれど、 40代過ぎると「これまでやってきたペース」の外挿で「この先できること」が見えちゃうので、 無駄な時間を使いたくなくなる。ところが「バカさ」の本質は 冷静に考えれば無駄になりそうなところに労力を突っ込むことにあるわけで。
もひとつ、皮肉なことに、「実績を積むことで理想的な環境に近づく」ことが 「バカさ」を失うひとつの要因になるかもしれない。 若くて貧乏なころ、ハイエンドな環境が手に入らなくて、そういうのを横目で見ながら ローエンドで制約の多い環境で四苦ハックしてたのが、 それで実績を認められてプロモートされ、 いつの間にか機材もソフトもハイエンドな環境使い放題、になったとする。 もちろん現代の計算機工学と計算機パワーでも全く追いつかない問題というのは たくさんあるから、贅沢な環境を最大限に活かしてそういう問題に取り組むことが 期待されてるわけで、それはそれで大事なことなんだけど。 そういう先端に行っちゃうと、直接のオーディエンスっていうのは狭くなる。 すごいハックをやったとして、それを直接使ってもらって「すげー」って 言ってもらえる人が限られちゃうってこと。
フィードバックなんて関係なく技術そのものを追求してるだけで面白い、 とか、間接的なフィードバック (自分の実装したクラウドのバックエンドの ロバストな管理システムが、巡り巡って人気のwebサービスに貢献してる、 とか、自分の書いたプロダクションレンダラによってあのハリウッド映画が 作られてるんだ、とか) で満足できるっていう人ならそれでいいんだけど、 ナイーブな「若気の至り」って、結構、自分に近い階層からの フィードバックに支えられてるってとこが無いかな。 分かる人に「すげー」って言ってもらうのにプライドをくすぐられる、って感じ。
たぶん、人生に壮大なビジョンを持って邁進してる人はこんなこと気にならないんだろうけど。 以前書いた「その場その場で面白そうな方向にふらふら進んだ方が良いタイプ」の人 (cf. 日本とか海外とかいうより) の場合は、 一本道を極めるよりも、「いい歳をして」とか言われながらも次々と 新しいことに手を出す方が、楽しい人生になるかもしれない (たとえ偉大な成果を残せなくとも)。 それがはからずも、この種のナイーブさを失わない秘訣であるように思う。
Tags: Programming, Career
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