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< 師の役割 | ピアノレッスン13回目 >

2011/09/04

目的の目的

前に途中まで書いてお蔵入りになってたんだけど、 先のエントリ に関連しそうなので完成させてみる。

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何かに取り組む時は目的を持て、とは良く言われるけど、 目的を持つことの本当の効用についてはあまり語られていないような気がする。 (ここでの「目的」は"objective"のつもり。わりと明確で具体的な、 実現すべきターゲットのこと。「目標」と言い換えても良い。)

目的を定めると、今足りないものは何かを明確に出来て、目的に至るまでの戦略を組み立てられる、とか、具体的な目的に段々近づいて行ったりクリアしてゆくことで、自分の進歩が見えてモチベーションの向上になるとか、そういうのは確かに効用なんだけど。

一番効果があること、あるいは一番おもしろいことは、 目的を定め、万全の準備をして臨んだ本番の勝負どころで、 予想もしてなかった事態に出会うことだ。

目的なんぞ定めずに呑気に過ごしていても予想外の事態には出会えるけど、 その予想外はあたりまえの予想外だ。最初から大して考えてないんだから 考えてないことが出てきたってべつに不思議じゃない。

考えて組み立てて、がっつり準備をして、もう怖いものはない、 というところで出会う「考えもしなかった」出来事は、 自分が見ることが出来る世界の地平線の向こうからやってくるものだ。 そこで一気に世界が広がる。

このことを最初に読んだのは確か篠崎光雅の演技術の本で、 そこではこんな感じで述べられていたと思う。人を笑わせる、という課題。 ネタを一生懸命考えてきて、それをぶつけろ。だが大事なのはそこで 笑いが取れるかどうかではなく、それに対する観客の反応に、 自分がどう感じたか、次の瞬間自分がどう反応できるか、そこなんだと。

演技の世界ではこのテーマは繰り返し出てくる。 マイズナーテクニックにおける"emotional preparation"も似たコンセプトだ。 何らかの感情でいっぱいの状態で、シーンに入る。 どんな感情かはあまり重要ではなく、 またその感情はシーンの最初数秒だけに必要なもので、後は捨ててしまっても良い。 シーンの中で起こるであろう感情と無関係でも良い。愁嘆場となるシーンに、 浮かれて入ってくる、というのも十分あり得る。 重要なのは、その感情に相手が反応し、それに自分が反応すること。 相手がどんな反応をするかはその時にしかわからないし、自分がそれをどう感じるかも その時になってみないとわからない。準備しておくことはできない。 それで良いのだ。準備は、即時的なリアクションの連鎖反応を引き起こすための 最初の一撃であって、臨界に達したらもう不要になるものだ。

これらはリアルタイムでの反応についてだけれど、別のスケールでも類似の構造が 見られる。Gaucheのライブラリにしても、何か別の目的を達成するために 書いているうちに思わぬ問題に蹴つまづいて、それを解決する過程でできた、 という副産物みたいなものがたくさんある。 あるいは、将来翻訳書を出版することになるなんて昔は考えていなかったけど、 Paul Grahamのエッセイをただおもしろかったんでweb上で訳してたら 何か本になって、そしたら別の翻訳の話も来るようになったりとか。

Paul Grahamといえば、「スタートアップにとって最初のアイディアが何か ということはさして重要ではない」と繰り返し話している。どうせ変わることになる のだからと。ただ、何でもいいんだけれど、何かを決めて、それを実現することに 全力で取り組むことがポイントだ。そこで壁にぶちあたった時に、本当に 取り組むべき問題が始めて見えてくる、という仕掛けだ。

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これが『師の役割』と どう関係あるかというと、師について学ぶ時にも似たようなことが起きるのだ。

「こういうことを学びたい」という具体的な目的を持って、 そのための準備をばっちりして、教わりにゆく。 でも、その万全の準備を師にぶつけてみたら、 全く考えもしなかった方向から一撃を喰らって、そこではたと目が覚め、 今まで見えてなかったものが見えるようになる。 これが、教わることの醍醐味だ。

もちろん、特定の師がいなくてもそういうことは起きるんだけど、 ちゃんとこちらの準備を受け止めてくれる人が相手になっていてくれると、 毎回そういうことが起きるので大変手っ取り早い。

ここで、「自分はこれを学ぶために来ているので、 (師の指示による)そんなことはやりません」とか、 「せっかくこのために準備してきたのに、全然関係の無い話になった」 とか言ってしまうと、最大の学びの機会を失うことになる。

これは、分かってない教育者が無意味な練習をやらせることを肯定するものではない。 ただ、「分かってない教育者による無意味な練習」と 「分かっている教育者による意味のある練習」との区別って、 生徒本人にはつけられないのが困りものなんだが。

Tags: 生活, 芝居, Career

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