Island Life

< "Do not give other actors notes" | 自分ではわからないから、わかる人に助けてもらう >

2015/10/30

「腐った翻訳」について

3行まとめ

  • 叩き台にするにしても最低限クリアすべきレベルがある
  • 原文をすらすら読んで構造を理解できないなら、自分の訳文のレベルを判断できない
  • それなら分かる人に判断してもらってクリアするまで何度でもやり直せばいい

SICPについて、既存のフリーの翻訳の質に満足できず、全面的に訳し直した方がいる。

ケチをつけるだけでなく実際に高い質でやりきったのが素晴らしい。パチパチ。

さて、一方で、元の訳を「腐った翻訳」「そびえたつクソの山」等と評していることについて、 これから趣味で翻訳して公開してみようかなと思う人を萎縮させてしまうのではないか、 という懸念を持つ人も少なからずいるようだ。

その辺については次の文章で説明されている:

のだけれど、反応を見ているとこの説明でも受け取り方にすれ違いがあるように感じられる。 そこで、takeda25さんの説明で十分な人には繰り返しになるかもしれないけれど、 ちょっとポジティブなスピンをかけることを試みてみる。 なお、以降で議論する翻訳の質については今回話題になったものの元の訳を特定的に 指しているのではなく、一般的な話である。

フィードバックによる改善

一番誤解されてるなあ、と思うのは、「下手でも何でもまず公開して、フィードバックを受けて 改善していけばいいじゃない」という反応だ。これは話の前提が完全にずれているので、 まずそこを合わせておきたい。

改善して行く叩き台になり得る最低限のクオリティ、というのが存在する。 そこに達していない場合、公開して皆で少しづつ直して行くというのはうまくいかないのだ。

フィードバックによる改善ループが動く条件は、 各フィードバックの独立性が高く、インクリメンタルな変更になっていることだ。 つまり、そのフィードバックを反映することで他に大きな影響を与えることがなく、 またそれが全体の文脈に照らして良くなっていることが明白であるようなもの、 そういうフィードバックならば、寄せられれば寄せられるだけ訳文は良くなってゆく。

ところで文章には構造があり、流れがある。これは多層になっていて、 本一冊として見た場合の構造と流れがあり、その文脈で各章内の構造と流れがあり、 各節内、パラグラフ内、文内の流れが順にその上に載っている。

文章の中で使われている言葉は全て同じ重みを持っているわけではない。 構造の要とか、流れの方向性を決定する言葉の重要性は高い。その言葉の選択を誤ると 流れが不明確になって全体の論旨が曖昧になる。一方そうでない部分の言葉は、 多少入れ替えても全体の構造への影響は軽微で、表面的な印象をどうしたいかという 好みの問題が大きくなる。

訳語がふさわしいかどうかという議論も同様で、要となる部分の訳語の選択が 正しいかどうかとか、直訳に寄せるべきか意訳すべきかというのは、 全体の構造をどう見せたいかという大きな文脈に依存する。つまりグローバルな影響がある。 要でない部分については周辺の文脈だけ見て検討すれば良い。

元の訳文から、 全体の流れをどのように把握してその構造を反映させようとしているかが見て取れるなら、 ある箇所の修正がどこまで影響するかを見積りやすいし、 どちらの方向に修正すればそれが改善になるかも見極められる。 そういう訳文ならオープンソース的フィードバックによる改善はうまくゆく。

けれども、元訳者が文脈を把握してない(ように見える)訳文の場合、 個々の文レベルでのフィードバックは無意味なのだ。 デッサンが狂ってて表現技法も統一性のない人物画で、髪の毛の表現方法をあれこれ指摘するようなものだ。 その箇所だけをローカルに見て表面的なつじつまを合わせられたとしても、 その修正が全体に照らしてどういう意味を持って、本当に改善になっているかが判断できない。 直すとしたら、根本的な方針の確認から始めて全体をいじるしかない。

これは、個々の訳文を取り出して修正してみせても、なかなか伝わらないことでもある。 個々の訳文を切り出した時点で文脈が無くなるので、その修正が単なる表面的な ものなのか、全体の流れに重大な影響を与えるのかがわからないからだ。

自分の不得意な分野で何かアウトプットを出すことを 想像してみれば、誰だってそういうレベルの出力を作り得るというのはわかるだろう。

ただ、そういうレベルのものを晒してはいけない、と一概には言えない。 誰でも最初はそこから始めて、徐々に良くなるのだから。

翻訳にまつわる議論は、単にレベルが低すぎるから叩く、ということじゃないんだ。

翻訳特有の事情

初めて描いたイラストだとか、楽器を始めて1週間で演奏してみた、なんて作品は 上手下手で言えばド下手だろうけれど、 それでも公に表現するということはとても良い行為だと思う。 上手下手とは別に伝わるものがあるし、同じ段階の人の励みにもなる。

ところが、翻訳に関しては極めて特殊な事情がある。

翻訳の対象読者は、その翻訳のレベルを判断できない。

翻訳のレベルを判断できるのは、原文を読んですらすらと構造を把握して 流れを見て取れる人だが、そういう人はわざわざ翻訳を読まない。 またその系として、訳者が「翻訳より原文を読む方がいい」というのでなければ、 訳者自身もまた自分の訳のレベルを判断できない。

他の多くの表現形態では、特に詳しくない人でもレベルのスケールの低い方は見分けがつく (詳しくないとある程度以上のレベルの見分けがつかなくなる、というのはあるけれど)。 ところが翻訳については、原語と訳語の両方に詳しくない人には、 どのレベルにあるか全く判断できないのだ。

下手でも頑張って演奏している動画を見たとき、人は「何を見れば良いか」をわかる。 この段階なら個々のミスタッチを気にするより全体として伝わってくるものを見るべきだな、等。 そして、フィードバックをするなら、細かな指摘よりも大きな部分で改善できるような コメントをしよう、と思うだろう。

でも読者のほとんどが下手かどうかも判断できないなら、 フィードバックの多くはランダムな、枝葉末節の指摘になるだろう。 そして訳者自身も、そのフィードバックが本当に役に立つのか立たないのかわからないだろう。

これでは同じ場所を彷徨うだけで、何も良くならない。

じゃあどうすればいい?

でも、下手糞は公開するなって言いたいわけじゃないんだ。 どんなレベルであれ、最後まで終わらせること、そして公開すること、それ自体から 自分が学べることはたくさんある。

ただ、公開しても役に立たないことがあるという事実は厳然としてある。 「無いよりはあった方がマシ」などと誤魔化すのはやめよう。

じゃあどうすればいい? ひとつ提案がある。

自分には判断できないという事実を受け入れるなら、 確実に判断できる人(=原文を抵抗なく読める人)に見てもらえばいい。 公開の場で腐った翻訳と言われるのがおっかなければ、 公開前に目を通してもらえばいい。

プロの翻訳家や文筆家だって、自分の作品を世に出す前に、信頼できる他人に 目を通してもらうのだ。アマチュアがそうすることをためらう必要はない。

そしてその人に、根本からやり直さないとだめだ、と判断されたなら、 謙虚にそれを聞いて何度でもやり直せばいい。

そう判断されることは、自分の人格が否定されることでもないし、努力が無駄になることでもない。 むしろ、わかる人に判断を仰げるだけのアウトプットは出した、ということを意味するのだから、 それは立派な成果だ。

その成果があったから、スタートラインに立てたのだ。

自分の勉強のためにせよ、翻訳を望んでいる皆のためにせよ、 当初翻訳に手をつけた動機を完遂するためには、そのスタートラインから踏み出さないとならない。 せっかくそこまで来たのに、やることはやった、後はみんなで直してね、 と受け身になってしまうのはあまりに惜しいではないか。

自分の訳文のクオリティが、フィードバックによる改善のスパイラルを得られるのに 達しているのか判断できない、でも公開してマサカリが飛んでくるのが怖い、という人は、 「こんなん訳してみたんだけど、公開して役に立つかどうか、 誰か原文わかる人、目を通してみてくれませんか」と募集してみたらどうだろう。

(なお、自分で判断するためには以前翻訳のセルフチェックというのも書いた。)

派生したエントリ:

Tags: 翻訳, 英語

Past comment(s)

ettem (2015/11/03 21:35:47):

腐った翻訳は、糞コードと一緒と言ったら、プログラマには分かるのではないでしょうか。

内部設計レベルでおかしな作りのソフトウェアは、パッチを当ててバグ修正しても仕方がなく、つくり直す方が手っ取り早いのと同じですね。

元の訳の方は以前読んだのですが、日本人には 和田訳 > 原文 > 元の訳 の順だと思っていました。

今回の件は、takeda25さんのような心配は不要で、ネットで元の訳を読むくらいなら、和田訳を読んだ方がいいと言う評価がついて、元の訳は誰も読まなくなるだけのことです。PDFがいいなら、HTMLをPDFに変換して読む方法が公開されていますし。

というか、訳云々ではなくSICPはその辺のプログラミング言語XXXのような入門書とはレベルが違い、難しいのは確かなので、PDF化して貰わないとダメなプログラマに読み通せるようなものではないですね。

shiro (2015/11/04 04:56:23):

それが、今回の反応を見ると「そこまで言われるほどひどくないのでは」とか「確かに訳としては大幅に改善されているが」とかがそこそこ散見されて、わからない人には本当にわからないんだろうなと。(問題になった元の訳はそもそも訳として比べることが無理なレベルなので、わかる人はそういう言及の仕方はしない)

SICPのようにそもそも内容の咀嚼が難しい本の場合、内容を知らない人が「自分がわからないのは翻訳の問題なのか内容を理解していないからなのか」を切り分けるのが難しい、というのもあると思います。そこまでわからないとしたら、ここわからないから原文を当たろうとか、和田訳と比べてみようとかいうところにまで至らないでしょう。

SICP和訳を検索して元の訳にたどり着いた人のうち、(1)元訳をぱっと見てこれはだめだと判断できる人と、(2)判断できずがんばって読み進めようとする人がいるでしょう。前者の人は原文に自分であたるなり、より良い訳を求めて和田訳に行き当たるでしょうが、そこでわざわざ「元訳の方はダメだから見てはいけない」と声をあげる人は少数だと思います。そもそもその批判のためにリンクをはったらますます検索で元訳が上位に出てきます。実際、元訳が出てから今回まで1年あったわけですが、元訳は参照してはいけない、という情報は元訳より広まっていたでしょうか? 私は今回の騒動で初めて元訳の存在を知りました。(1)のカテゴリに入る人のほとんどはそもそもSICP和訳を検索しないですから、元訳の存在を知って何かのアクションを起こす可能性は低いです。結果的に、「和田訳を知らず、原文も読んだことが無くて、SICP和訳を探す人」のみが落ちる罠が形成されるわけです。

ソフトウェアなら、素人でも全く動かなければ動かないとわかるし、従って淘汰されるでしょう。 でも例えば、頻繁にクラッシュするソフトウェアに対して、多くのユーザが「自分のインストール方法がおかしいのかも…」「自分の設定がおかしいのかも…」「ソフトウェアってそういうもんだから仕方ない」などと考えてしまうような世界を想像してみてください。

質に関して淘汰圧が働かない場合、良いものではなくアクセスしやすいものが残ってしまうでしょう。

shiro (2015/11/04 05:05:02):

(糞コードというのがどの範囲を指すのかわかりませんが、現在問題となっている翻訳のレベルは「コンパイルを通らないとか、すぐSEGVするようなコード」であって、そういうコードはそもそもユーザの手元にまで到達しないですよね。そこが大きな違いだと思います。)

Anonymous (2015/11/10 17:58:42):

うーん、自分はここが引っかかってるのかな。

>そう判断されることは、自分の人格が否定されることでもないし、努力が無駄になることでもない。 むしろ、わかる人に判断を仰げるだけのアウトプットは出した、ということを意味するのだから、 それは立派な成果だ。

そうなんだけど、そうやって「人の話を聞いて」大成した人っているんだろうか。

ここでいう大成とは、もちろん「プロ」レベルの大成ではなく、「当代最高の翻訳家」レベルの大成。

僕は英語ができないんだけど、翻訳ってすっごく楽しいから、みんなに役立てるためではなく、「翻訳するために翻訳する」、まさに

>初めて描いたイラストだとか、楽器を始めて1週間で演奏してみた

のノリで、クソみたいな翻訳を自分のHPに載っけて撒き散らす、という自由はないんだろうか(いや、誰がそれを否定してるわけじゃないけど)。

グロタンディークにしろ、Steve Jobsにしろ、大成した人が「謙虚にそれを聞いて何度でもやり直」しているイメージがない。むしろ彼らは自分の意見を否定する者をシャットアウト(するフリをして技術を盗み)し、自分をブレなかったこそ量産型でない、一世の雄になれたイメージがある。

この問題、そしてshiroさんの論のスコープの範囲外のことを言ってるのはわかってるけど、この「クソ翻訳者の視点」をネット上で誰も持ってない気がしたのでこらえきれず指摘しておく。

shiro (2015/11/10 20:40:43):

なにか明後日の方向を見ているように思えます>Anonymousさん

ものを作ったり表現をしてゆくとだんだんうまくなりますよね。うまくなる過程で、以前見えてなかったものが見えるようになること、ってありませんか? 同じものを見ているのに、今は当然のように「見える」ことが、思い返してみたら以前は全然見えてなかったなあ、という。きっとあるはずです。「うまくなる」とはそういうことだから。

だとしたら、今、自分にできる限りの力を尽くして作ったものについても、将来のいつか振り返った時に、ああ、あの時は見えてなかったなあ、と思う蓋然性は高いですよね。

他人の意見を何でも素直に聞けと言ってるんじゃないんですよ。世の中にはわからないのにわかったようなことを言う人もたくさんいるので、そういう意見を聞いていたら却って何も出来なくなっちゃいます。重要なのは「見えていなかったことが見えるようになること」であって、そのために他人の意見が利用できるなら利用すればいいし、他人の意見をシャットアウトして自力で気づこうとしたって構いません。どちらにせよ、見えてないことを見えるようになろうとする、というのは上手くなろうと思うことと同値でしょう。

(もちろん、見えてない故に出来た表現、というのもあります。なまじ上手くなってしまうと却って出来なくなってしまう表現。デビュー作にしかない輝き、みたいなもの。でもそれは必然的に一過性のものです。それを求めて繰り返しても、二度目以降は自己の劣化コピーにしかなりません)

まあ趣味なんだからうまくならなくても良い、という選択もあります。でも翻訳の場合、翻訳への評価がある程度原典への評価に反映されてしまいます (歌が下手でも原曲が悪いと思う人はあまりいませんが、翻訳の場合どちらが悪いのか読者にはわかりづらいです)。原典が好きだから翻訳したのでしょう? それなら、自己満足と、原典がより良く評価されることの、どちらが大事ですか? 後者だとしたら、自分の翻訳を良くするためにできることを何でもすればいいじゃないですか。あなたのプライドなんて、原文の価値に比べたらちっぽけなものです (そうでない、というなら自分のプライドのために原文を利用するのではなく、オリジナル作品を作るといいと思います。)

Anonymous (2015/11/11 07:52:37):

>原典が好きだから翻訳したのでしょう? それなら、自己満足と、原典がより良く評価されることの、どちらが大事ですか?

いいえ、前者の世界が見過ごされている、というのが私のコメントの趣旨だったと思います。

自己満足のための翻訳、というのがあまり理解されてなくて、ガウスの「野蛮人どものわめき声」じゃありませんが、そういうゴッホ的な「自分の殻に閉じこもり」が大成するためには必要なんじゃないかなあ、と。まあ、翻訳に限った話じゃないのでアレですが。

>(そうでない、というなら自分のプライドのために原文を利用するのではなく、オリジナル作品を作るといいと思います。)

これはなぜでしょう? CC-BY-SAなら原文を利用するのは自由ですし、なにより翻訳が楽しいんですが。

そう。Shiroさんのポジティブに物を学ぶ姿勢にはいつも元気づけられるのですが、少しは下らない「プライド」的な幼さ、狂気、毒を持たないと、大成できないのではないか、というのが私の疑問かもしれません。

Shiroさんの生き方は、なんというか結城浩的なアマチュアリズムなのかな、と思っています。

ピアノもアマチュアだし、Actorは一応プロだけど、いつまで経ってもハリウッドには出ないし、マシ・オカにはならないし。

彼(結城浩)は数学ガールで、ミルカさんに勝てないから数学者は諦めるけど、教師、という素晴らしい道がある、と述べているのですが、私には Bernard Shaw の Those who can, do. Those who can't, teach. が思い起こさざるを得ませんでした。

Gaucheもガラパゴス処理系の域を出ないし。もっとRacketみたいに名前を変えてまったく新しい言語のフリをして宣伝して、世界的なイニシアチブを取るべきだと思うのですが。

謙虚で誠実な勉強法に対して、「でも、それって大成できるの?」というのは面白い反論じゃないでしょうか。

ettem (2015/11/11 08:21:50):

元訳を「改善されている」と判断する人がいるとは、驚きでした。 改善されていると評価するという事は、両方の訳を読んで、少なくともどちらかの訳で内容を理解したという事になるはずですが、とても理解しているとは思えない…

ところで、提案にある判断のできる人に目を通してもらうってのは、元訳の人には無理だったのではないかなって思います。一般的に、最後まで読み切るSICPの読書会のメンバーを集めるのも結構大変なのに、訳のチェックをしてくれるような人なんて身近にはいないと思います。

そんな現状を考えると、いきなり公開でも仕方ないのでは。

ただし、元訳の人は、訳のレベルが酷いのに「具体的なご指摘以外には対応しない」と言っているのは残念でしたね。(この対応があるから、takeda25さんの翻訳しなおしって行為は正しいと思いました) 公開したら直ぐにShibuya Lispに行って、意見をもらえる人を探せばいいのにって思いました。

shiro (2015/11/11 12:23:07):

Anonymousさんの評はおもしろいですが、そういう他者の実存に疑問を投げる声は、御自分の実存を晒してもらわないといまいち届かないなあと私は感じます。まあ届かせるつもりがないのだと解釈しておきます。

狂気については一般論としてわかりますが、今回は翻訳の持つ「受け手が判断できない」という特殊な性質、および特定のアウトプットのレベルを前提としていることを考慮してもらわないと有益な議論にならないと思います。殻に閉じこもる勇気は良いんですが、今前提にしているのは「自分で自分のできなさ加減が全くわからない」レベルですんで。他者に言われるにせよ自分で気づくにせよ、そのレベルはクリアしないと大成も何もないでしょう。そんで、他者のフィードバックは「利用」できますよ、という話をしてます。あとCC-BY-SAだから自由だとか言うのって今の議論に関係あります? 関係あるのならちょっと私がポイントを理解しそこねているのでもうちょい説明してください。

Shawのその言葉については、おもしろいシンクロニシティがあります。この次のエントリでSomething's Gotta Giveのシーンの話を出してるんですが、そのシーンの後の方にこの"Those who can, ..." を下敷きにした台詞が出てくるんですよ。そしてその解釈を考えているうちに、この"can't"は必ずしもネガティブに解釈する必要はないんじゃないか、と思い当たったんです。自然に出来るようになってしまう人は、出来ない人がどこでつまづくかわからないので、うまく教えられないってことがあるじゃないですか。Those who can, can't teach. でもあるんじゃないかなと。

Anonymous (2015/11/11 14:24:35):

>御自分の実存を晒してもらわないといまいち届かない

それは人身攻撃だと思いますが、私もちょっと人身攻撃っぽくスタートしてしまったので今回は申し訳ないです。

よくある「ブログのコメント欄に延々と粘着する人は大ファン」というので、shiroさんのハリウッド進出を応援している、という論旨だったのですが (Don't take it personally、というつもりでした)。

なんだかこの文脈だと、私が元訳を擁護しているように見えてしまいますね。

私はshiroさんの言う(1)で、SICPは原書で読みますし、駄訳はPageRankで淘汰されるのが理想で、ネットはすべて受け手の責任、というみなさんと同じ現代的な思想だと思います。

私は今回の翻訳の議論や前提とはまったく無関係に、「何事も」大成するにはゴッホメソッドが必要で、一見理想的な「ネットのツッコマレビリティを利用したフィードバック改善プロセス」では、真の道は極められないのではないか、という仮説を提唱したかったのです。

あるいは、他者のフィードバックを利用できるような人(つまり、他人なんかの意見なんかを聞いて平気でいられるような人)は、そもそもその道に向いていないのではないか、とか。

たとえば私が画家になるとしたら、(私は絵が描けないが)とにかく描きたいものを自己流に描いて公開し、コメントはオープンにするが無視して絵を描き続け、ときどき他人の作品からインスピったり、機会があれば何気なく絵画理論の基礎を独学したりしながら、自分なりに未解決問題を研究しつつ絵を高め続けます。

でも、shiroさんだと「絵のクラスをとる」とか、まさに「フィードバック改善」だとか、そういうふうになるんじゃないかと思ったんです。

私のやり方は間違ってるのかなあ、と心配になったのですが。

超初学者にもゴッホメソッドは私は必要だと思うのですが、なにせ目標が「大成」なので、なかなかそこまで目指していない、不完全恐怖症者じゃない人には理解されにくいのかな、とも。

CC-BY-SAのくだりは、純粋に、翻訳するという行為が好きな人が「オリジナル作品を作るといい」というのが私には意味がわからず、なぜ?と思ってしまいました。

Those who can, can't teach. のような言説は、私はそれでも、やはりどこかに強がり、ごまかしがあるのではないかと感じてしまいます。

どちらかを選べるなら、やはり数学者になりたいんじゃないか、と。

できるようになるまでやるべきで、途中で諦めるべきではないと思います。

Anonymous (2015/11/11 14:26:27):

>(Don't take it personally、というつもりでした) すみません、なんだかこれでは皮肉っぽく聞こえてしまいますが、本当に応援しています。

shiro (2015/11/11 15:15:41):

人身攻撃ではなくて、例えば「ハリウッド進出」というのは、ハリウッドで仕事することの内実を実際に知っている人が言うのと、イメージだけを持っている人が言うので全く意味が違いますよね。Anonymousさんの立ち位置を明らかにしてもらわないと(実名を出せというのではなく、その発言をするに至ったパーソナルな背景や心情を率直に吐露してもらわないと)判断のしようがないということです。

今回のコメントである程度御自身のことを語ってもらったので多少わかりました。

まず、翻訳についてなぜそれが(他の創作行為と違って)特別扱いされるべきか、という点についてはもう複数エントリで説明したので繰り替えしません。訳がめちゃくちゃでも原典を誤解する人なんていないだろう、という立場でしたらもうagree to disagreeしかないかなと。そう考える根拠がおありでしたら伺ってみたいですが。

で、それとは全く別の話として、ゴッホメソッドの話は非常に興味深いです。最近、「教育すると人間は弱くなる」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45934 という記事も目にしました。これには一定の真実があると思います。既存の枠に収まらない才能は、多分まわりのことなんか気にしないで好きにやってた方がいい。

ただ、教育というのは、そういう飛び抜けた人間のやったことを「those who can't do」が分析して、凡人にも役立てることが出来るように体系化したものだと思います。だから飛び抜けた才能についてはもとから対象でない。そうでない凡人にとってはいわゆる「高速道路」になるものだろうと思います。

趣味として、高速道路では見逃してしまう身近な小路をのんびり散策したい、というあり方はokでしょう。でもそれは「大成」とは全然別の方向ですよね。

自分には飛び抜けた才能があり、いつか大成するんだ、そう思うなら、他人の言うことなど気にせず、こんなとこも読んでないでやりたいことやってればいいと思います。同様に、私に飛び抜けた才能があるなら、ネットに駄文など書き散らしてはいないでしょう。私はどちらかというと、上手くなってゆく過程というのはこういうものなんだ、とか、わかりやすい頂点の成功以外にもおもしろい居場所はあるよ、といったあたりを身をもって発信できたらいいなと思ってます。

shiro (2015/11/11 20:22:58):

前のコメントの最初のパラグラフについて注釈。「発言者ではなく発言内容そのもので判断せよ」の原則に反するようですが、この場合、発言者の背景によって「ハリウッド進出」という言葉の指す対象自体が変わってきます。「ローカルマーケットでは不十分だからハリウッド行った方が良い」という具体的なアドバイスなのか、「イメージ的にわかりやすい成功をしてほしい」みたいな願望の投影なのか。意味を知るには対象の明確な定義が必要で、それが無いなら発言者の背景で対象を判断するしかない、ということです。

Anonymous (2015/11/12 03:58:04):

あれ、反映されてないのかな。

>ハリウッドで仕事することの内実を実際に知っている人が言うのと、イメージだけを持っている人が言うので全く意味が違いますよね

なるほど、「同じ意見でも真偽が異なる」という意味ではなくて、「何が言いたいのか真意を測りかねる」という意味ですか。そこまで気を遣わなくてもいいと思いますが。

>訳がめちゃくちゃでも原典を誤解する人なんていないだろう、という立場でしたらもうagree to disagreeしかないかなと

私はたぶん、もう翻訳の話はしていなかったと思うのですが。私は原典を誤解する人は存在し、それは一般社会の縮図でありネットとはそういうもので、自己責任で何の問題もないという立場です。

また、それが問題だと思うなら悪貨を駆逐する良貨をこさえるのがベストで、takedaさんは最高だと思っています。

で、よりにもよって尹雄大さんですか。いかにも「ゴッホ系」の人で、私は彼は森田真生と同じ臭いしかしない、という評価なのですが。(と、また実名DISをしてみるテスト。ってか、ここって誹謗中傷OKなんですか?)

ここからまた話が飛ぶのですが、「高速道路」の比喩といい、shiroさんはやはりcan't agree more、という気がします。

Shiroさんの自分に対する素直さ、また、議論の整理の明快さは全国的に見ても(いや、アメリカか)類まれな才能ではないでしょうか。

おそらくはてな界隈、Twitter界隈では、「そう判断されることは、自分の人格が否定されることでもない」の部分すらわかっておらず、くだらない「プライド」で争っている人がほとんどなのではないかと思います。

ましてや私の仮説ははてな村では理解されないと考え、こちらに書いたのですが、なぜこのIsland Lifeのコメント欄がはてブ数に比べてポピュラリティを得ないのかが不思議です。

あまりにshiroさんのレベルが高すぎて近寄りがたい、ということなのだろうか(それとも、空行が反映されないのが問題か)。

議論を進めるためとはいえ、アスペさんみたいに大変失礼なことを申し上げてしまい申し訳ありませんでした。

末筆になりますが、Scheme = Gauche といわれるよう、Gaucheの覇権が取れることを、よりいっそうのご活躍をお祈りしております。

Anonymous (2015/11/12 04:02:50):

また行きがかり上、結城浩氏をDISるような形になってしまったため、ここを見た彼のファンが誤解しないよう、この場をお借りして結城さんの名誉を回復しておきます。

彼は数学ガールがヒットし、印税も入り、またその無知をごまかさない謙虚で低姿勢な学習法で知られ、最強だと思うのですが、唯一ごまかしているのが、やはり顔と学歴だと思います。

彼自身が学歴コンプを認めていますが、「先生などならなくてもいい」とすっぱい葡萄になるのではなく、金も素養もあるのだから、結城さんはプロ編入試験を受けるべきだ、というのが私の考えです。

http://www.hyuki.com/dig/complex.html

http://rentwi.textfile.org/?657809775040720896s

「職業に貴賎がある」という話ではありません(数学者が憧れだなんて人は彼とPaulぐらいのものでしょう)。ただ、本当になりたいものがあるなら、子育てを終えてから目指すのもアリなのでは、という話です。

で、これはまた興味深い問題だと私は思うのですがいかがでしょう>shiroさん…(以下延々と続く)

shiro (2015/11/12 08:19:20):

自動スパムが良く来るので、フォームを開いてから速すぎる投稿および時間が経ちすぎた投稿は無視されるようになってます。ちょっと不親切なインタフェースではあるのですが。

Anonymousさんはおもしろい材料を持っているようにお見受けするのですが、生き方の選択という話になってくると、やはり発言者の立場が見えないとどうにも反応しづらいなと私は思います。単なる床屋談義の放言なのか、個人的経験に基づく具体的根拠や戦略があっての発言なのか、判断できないからです。推測ゲームは不毛なのでやりたくないですし、もっとご自身のことを(発言内容のサポートになる範囲内で)語っていただければ、新しい何かが出てくるような気がします。

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