2012/11/08
ピアノレッスン68回目
- Bach: Well-tempered clavier Bool I No 4
- FugueもMM=100でだいたい弾けるようになった。まだ暗譜は無理。
- Debussy: Pour le piano - Prélude
- MM=120で。各声部のバランスが良いと言われた。
- 自分としては、まだ部分部分の「つなぎ」のところがうまく言ってない感じがする。あと、リズムをきちんととるのがえらく難しい。
- 練習し始めのころはグリッサンドで指の皮が剥けていたが、爪の使い方のコツをつかんだので今はok。
Tag: Piano
2012/11/08
問いと答え
「解くべき問題」を的確に表現し得たなら「問題を解くための作業」の過半数は終了しているというようになることも多いような気がします
本当のところ、「答える」ためには「的確な問い」を描くということが必要十分条件なのではないか、と思います。だから、「問題を出されたら、答えることができる能力」なんて(その問題が作り出された段階で、すでに問題は解かれているのですから)実は無意味だ…と感じることも多いのです。
必要なのは「問い・問題」を手にするための力で、「答えられる(だけの)力」ではないだろう…と思うことが多くなりました。
良い問題というのは、それに答えを出すことで、 多くの新しい問題への扉を開くような問題じゃないかなと思う。
単に疑問が増えるっていうことじゃなくて。
ああ登ってみたいなあと思うような山がある。その山が問題。実際に登ってみるのが答え。 で、登ってみたら景色もいいし気持ちいいんだけど、その先にまた素敵な山がいくつも 見えてきて、わあこんどはどの山に登ろうか、と思えるようなのが、結果的に良い質問かなと。
出された問題に答えるというのは、「その先の素敵な問題」を見つけるために必要な基礎訓練と 考えれば意味があるかなと思う。また、自分で問題を作ってみるというのも、 「こっちの方向に言ってみたい」という霧の中に、明確に登るべきピークを 見出すという意味で良い訓練になる。
でもどちらも、どんどん先へ進んでゆく問いと答えの連鎖を旅するのが目的だと わかってると、より楽しいんじゃないかと思う。
Tag: ものつくり
2012/11/07
最終講義
なんかの区切りに人がそれまでのことを振り返っているのを読んだり聴いたりするのは 好きなんだけど、大学教授の「最終講義」というやつには学生の頃からずっと違和感を覚えていた。
いや、個々の教官が最終講義をすることについては何も思うところはないし、むしろ 理由が何であれ話したいことを話す機会として活用すれば良いと思うのだけれど、 そういう個々の具体例と切り離して、「大学教授は最終講義をするものだ」みたいな 風潮になにか落ち着かない。
なんでかなと改めて考えてみると、どうも自分は大学教授みたいな人には生涯 研究したりレクチャーしたりしてほしいという勝手な願望があるみたい。 それと、教授にとって所属組織というのは単に軒を借りてるだけで本人の 研究や講義は組織とはある程度独立してて欲しいとも。 あちこち彷徨っていろんな人とコラボしちゃうようなのがカッコいいなあと。
「最終講義」というやつは、 定年なりなんなりでキャリアを区切ることを前提としていたり、 所属組織を離れることに過分な意味を持たせているように感じる。 もちろんある教授がそういう選択をするのは別に良いんだけれど、 世間一般的に「そういうものだ」と受け入れられている空気が、正直すこし気持ち悪い。
だからどうすべきだとか言うつもりは全くなくて、単に自分は妙に感じる、 っていう感覚の話。
Tag: Career
2012/11/02
少人数学級
少人数学級が学力向上に寄与するかの話 - 発声練習 に、「少人数学級化だと、上位学力層の競争が緩み、上位学力層が劣化する副作用がある(クラスサイズパズルと言う)」という話が。詳しくはリンク先にさらに引用してあるリンクに色々書いてあるが、影響を与え得る要因が多すぎてはっきりは言えないものの、クラスの人数と成績にそれほど相関が見られないかあっても僅かだってことらしい。
同じカリキュラムでクラスの人数だけ縮小した場合は、そんなものかなと思う。先生の目がより届くようになって下位の生徒がケアしやすいとか、先生の負担が減るとか、そのへんの効果は大きいだろうけれど。上位の生徒というのは、全員が同じ進度のカリキュラムでは、授業を無視して勝手に先に進んでしまうので、小規模になったから良くなることって無いだろう。競争が緩んで劣化するのって、2番手グループじゃなかろうか。最上位グループは競争しようとも思わないから。まあ統計的に意味を持つのはその2番手グループなんだろうけど。
ただ、人数が少なくなったら別のカリキュラムの可能性はあると思うんだよね。らむ太の学校のように各生徒が (一応の目安はあるものの) ばらばらの課題をやってるとか。この場合、競争によるモチベーションというのはもともと無いので、先に進みたい生徒のモチベーションは知識欲、学習欲によるものになる。まあ、そういうカリキュラムにするには生徒:先生が20:1でもまだ無理で、10:1以下にしないとだめだろうけど。
Tag: 教育
2012/11/01
ピアノレッスン67回目
- Debussy: Pour le piano - Prélude
- 遥か昔にチャレンジして一応通せるようになったものの、弾けてるんだか弾けてないんだか自分でもわかってなかった "Pour le piano" に再挑戦。まずはPrélude。
- 改めて譜読みからやってみると…ドビュッシーは色々野心的な試みをしているように思える。それぞれの音をどう鳴らすかちゃんと自分で考えないと曲にならないっぽい。
- Bach: Well-tempered clavier Book I No. 4
- FugueはM=84までいった。このくらいになると各テーマが聴きやすくなる。しかし少しでも気を抜くとどっかの声部を忘れるので大変だ。
Lisztは時間切れで無し。しかしこっから完成度を上げるのが大変なんだよなあ。
Tag: Piano
Comments (0)