Island Life

2012/10/17

n個m円

しばらく理解できなかった

「2個100円」につられて2個買ったら、レジで1個づつ通しててそれぞれ50円だった、 割引になってないじゃん、という話。つまり、まとめて買うとちょっと安くなることを 期待してたってことなのね。

米国のスーパーだと、「Sale! 4 for $1.00」(4個で$1) とか書いてあっても、 4つ買う必要はなくて、1個25セントで買える。 そういうルールがあるのか、単にレジの手間を省きたいのかは 知らないけど。こっちに来たすぐはそれを知らなくて、多いけどしゃーない とか思いながらまとめ買いしてた。

ただし「Buy 2, Get 1 Free」(2個買ったら3個目はタダ) とか書いてある場合は まとめて買った方がお得。

Tag: 生活

2012/10/15

The Untold Story

Ryan Kawamoto監督のドキュメンタリーThe Untold Story: Internment of Japanese Americans in Hawaii、昨日のプレミアに続き 明日のHIFF上映も満席だが、11月にもう一度Wardの映画館で上映があるそうだ。

それと、HIFFのHilo会場での上映 (10/27) はまだチケットが発売されてないので Big Islandの人は観るチャンスがあるかも。

第二次大戦中の日系人の強制収容については多くが語られているし、 ハワイでもSand Islandにあったキャンプについては小説になったりしてそれなりに知られている (Graham Salisbury: "Under the blood red sun", 今調べたら邦訳も出てる←)。

しかし、『地獄谷』と呼ばれた収容所がEwaにあって、 終戦後数十年忘れられていてごく最近「再発見」されたって経緯は知らなかった。 そのへんもドキュメンタリーで触れられている。

『Masterキートン』に、日本の収容所の跡を尋ねてくる外国人の話があるけれど、 実際、ほっとくとほんの数十年でそういう歴史的な跡地って跡形もなく消えてしまうものなんだなあ。

私は当時を再現するドラマ部分で、実在の人物、尾崎音吉氏の役で出演している。 完成したフィルムを観たら、再現ドラマ部分の役はみんなそれなりに実在の人物と似てる役者がキャストされてて、ああなるほどと思った。

Tags: 映画, 芝居

2012/10/11

ピアノレッスン64回目

  • Liszt: Chasse-Neige
    • 八分音符=76くらい。
    • 「やっと曲としてまとまってきたわね」と言われた
  • Bach: 平均律1巻2番 (c minor)
    • 惜しい。もうすこし。
    • バッハは頭でずっと全ての声部を追っかけてないとだめな感じ。 集中力が切れて手の記憶で弾くモードになるとミスる。
  • Bach: 平均律1巻4番 (c# minor)
    • 久々に平均律熱がぶりかえしたのでもう一曲やってみることにした。今回はpreludeのみ、半分の速度で。

Tag: Piano

2012/10/07

広義のプログラミング

プログラマほど素敵な商売はない? でこんなふうに書いた。

自分の子供の世代になると、「プログラムが書ける」というのは「文章が書ける」のと 同じくらいの基本的なリテラシーになるんじゃないかと思う。その時の「プログラミング」 は今より広い概念だろうけれど。

強調部分、ちゃんと考えるのが面倒でぼかしたんだけど、その解釈次第で「プログラミングリテラシー」についての反応が分かれたみたい。

具体的なアイディアがあるわけじゃないんだけれど、 少なくとも何かのトピックについて、機械解釈可能な何らかの形式に沿って記述する、 っていうくらい曖昧なことを考えていた。 記述はテキストとは限らないし、何らかの手順を記述しているとも限らない。 ルールの記述とか性質の記述もあり得る。

つまり、「意図を形式に落とし込める」という能力。 これは算数でもやるけど(文章題からの立式)、 算数って形式に落とした後の操作も自分でやることが前提だから、 扱う問題がかなり限定されてる。 (広義の)プログラミングの場合、形式に落とした後の操作はコンピュータがやってくれるんで、 むしろ記述可能な問題空間をどこまで自分で探索できるかとか、 得られた結果をどう解釈するか、ってのが問われることになる。

目の前に、質問をしたら答えてくれる機械がある。この時、 意味がある答えを得るためにどのように質問を構成すべきかを考える能力といってもいい。 (機械の性質を考慮しつつ、複数回の対話まで考えて質問を構成していったら、これはかなり プログラミングに近くなるだろう)。 こういうスキルって、重要性が増しているんじゃないかな。

Tags: Programming, 教育

2012/10/06

Quidam

Cirque du Soleilの "Quidam" がホノルルに来ているので、子供と観てきた。

"Quidam" はツアー開始の年に、Santa Monica Pierで観る機会があった。 米国に移り住んだ最初の年で、週末毎に海岸沿いにSanta Monica までインラインスケートで往復していたのだけれど、 ある日突然、ピア脇の駐車場に青と黄色のストライプのでかいテントが出現した。 好奇心のままに当日券を買ってステージを観て、わしっと心を掴まれてしまった。 ツアーがSanta Monicaにいる間に何度も観に行った。 ツアーが去った次の週末、テントが無くなり妙にぽっかり開いたスペースを見て あの全てが夢幻だったような不思議な感覚にとらわれた。実際、生の舞台というのは その瞬間瞬間にしか存在しない儚いものだから、テント公演は舞台の本質を反映している。

あれから実に16年。パフォーマーは次々と入れ替わっているだろうけれど、 ひとつのショーを16年続けるってのはすごい。 ずっと色褪せないってことだから。 それだけ普遍的であり、上演作品としての完成度も高いってことだ。

16年ぶりに観たQuidamのステージには、やっぱり魅了された。 かつてのように心を持ってかれることは無かったけれど、 なぜあんなに心動かされたかが良く分かった。

生のステージの、ひりひりするような緊張感だ。

繰り出される技の数々については、もう知っているので、おお、という驚きはあまりない。 それよりも、ジャンプのきっかけを待つパフォーマーの一瞬の表情、 タイミングを合わせる目配せ、視界の外で互いがそろそろと手を伸ばして触れ合う一瞬、 そういうとこがたまらない。

あるいは、メインのパフォーマーが空中で技を繰り広げている時に、 背景で静止していたり、ひたすらくるくる回っている演者達。 以前何度も通いつめたのは、そういったディテールを全部観たいと思ったからだった。

やっぱり舞台は良い。

Tags: 芝居, 表現

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