2013/06/19
学びの道筋
昨日の『有料オーディション』から派生する話だけど、特定の業界の話ではない、というのをあらかじめ断っておく。
引用した堀江氏のツイートの中で、一ヶ所よく理解できないところがあった。
養成所に入ってスキルあげなきゃってのは悪い意味での日本的真面目さなのかなと
USでも役者になろうって人は大学で演劇コースを取るなり、演技のクラスに通うなりして スキルを磨く。役者に限らず、ある程度の人数がいる専門職なら、教えてくれる人について 学ぶのは当然だ。しかもその学びは「プロになるまで」という限定的なものではなく、 専門家でありつづけるために一生続く。(「Actors Studio」は俳優養成学校のように 思われていることがあるけれど、元々は既にプロとして活動している俳優達が さらにスキルを磨くために集まったものだ。後に、カリキュラムを応用して 学生向けに教えるActors Studio Drama Schoolが出来たけど、 今でも本来のActors Studioは「役者になるために演技を教わるところ」ではなく 「役者になった人がさらに芸を探求するところ」であるはず。)
なので、教えてくれるところに行って学ぼうって思うこと自体は日本に特有の話じゃない。 これがなぜ「日本的真面目さ」になるのか。
で、さっきジムで自転車漕いでたらふと思いついた。
時々、「俳優になりたいので、養成所に入ろうと思う」と言いながら 学校の演劇部なり地域の劇団なりで舞台を踏んだことはない、とか、 「ゲームを作りたいので、専門学校に入ろうと思う」とか言いながら、 趣味でゲーム作ったこともない、という人を見かける。
やるのに特別な資格や機材が要るってものなら別だけど、 役者やってみるのだってゲーム作ってみるのだって、 やろうと思えば今いるところで今日から始められることでしょう。 もちろんそれが直接仕事につながるわけじゃないけれど、長い道のりの第一歩であることは間違いない。
とりあえずやってみないと、自分が本当にそれをやりたいのかどうかってことさえわからないし、 何を学ぶ必要があるのかってこともわからない。
でも、「自分は学ぶ必要があるのだ」ということを思い知ったから学びの門を叩くのではなく、 憧れの場所への順路に教室があるからとりあえずはそこに入ればコースに乗れるように思ってしまう。 そういう思考パターンを指して「日本的真面目さ」と言ったのかなあと。
まあ、ほとんどの人は最初に「学校」というものに通い始めるにあたって、 自分で必要性を感じてそうしたわけじゃないだろうから、 ずっとその「学校」というシステムの中にいると 「とりあえず教えてくれるところに行こう」って発想になるのかもしれん。
その発想に乗っかれば、教育ビジネスで儲けることは出来るかもしれん。
けれど、本当にプロにつながる人材の育成ということを考えるなら、考えてない人を誘い込むコースを用意するのは長期的には業界の首を締めることになりそうだ。
(たまに、何の経験もなく何となくで入ったのにめきめきと伸びる人もいるだろうから、「必ず学びへの決意を固めてから学校に入れ」というつもりはない。ここで問題にしてるのは、「プロへの道」が教室によってお膳立てされてるっていう発想と、それに乗っかる業者のこと。)
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Tag: Career
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