Island Life

2014/05/19

小学校の教科内容

らむ太は先週、学校のサイエンスの授業でリトマス試験紙の実験をやってきた。 自分がやったのは高学年になってからじゃなかったかな。

1年生の時に脊椎動物植物の分類をやってて、 2年生では5界説だの生物群系(biome)だの無脊椎動物(これとかこれ)だのをやったりしてるので、 理科に関してはずいぶん早いなという印象。

一方で算数は、九九の導入こそ2年生半ばだったものの、完全に暗記するのは3年生終わりくらいが 目標とのことで、そっちは日本よりもゆっくりしてる感じ。

ただ、1桁→2桁→というふうに増やして行くのではなく、道具を使った計算を先にどんどんやらせておきつつ、筆算や1桁の暗算を並行して進めている感じ。例えば1桁の加減算を暗算でする練習の前に、bead frameというのを使って4桁までの加減算をやっていたりとか。 九九もマスターする前に既に道具を使って4桁x1桁の乗算をやってる。

これはおもしろいなと思った。算数は積み重ねで、ひとつつまづくと続きがわからなくなるという観念を持ってたんだけど、同じ課題 (例えば4桁の加減算とか) を、最初は道具の力を借りて、後から筆算で、といった具合に方法を変えて繰り返すことで、 計算の感覚を定着させてゆくってのもアリなんだなあと。

Tag: 生活

2014/05/19

空気話、さらに続く

わーい、めいろまさんに言及された。

日本人は空気ばかり読んでいるからグローバルなサービスを産み出せない理由

(ちなみに私も海外在住・海外子育て組なんで、めいろまさんの二分法にはちと不満が。)

しかしあれだな、『空気』のエントリの論旨がいまいち明快にならなかったのは、「空気を読む」という言葉をちょっと軽率に使いすぎたせいかもしれぬ。

文字通りとればこれは

  • 1. 相手や、その場で前提とされている文脈を推測あるいは理解すること

なんだけど、日本語での「空気を読む」は

  • 2. 全員に共有される単一の文脈を理解し、それに合わせること

という意味で使われることが多い。後者の語法自体が、ひとつの暗黙の文脈を参照しているのが、自己言及的でおもしろい。「空気を読む」が後者のような意味になるのは、

  • 空気というのはひとつしかないものである
  • そのひとつしかない空気に合わせることが正しいことである

という暗黙の文脈を参照しているからだ。この前提のもとでは、1と2は同じだからね。

あの課題を見て「日本特有の空気読み」と受け取った人は、これらの暗黙の文脈=空気を察したわけだ。(逆に、あの課題をみて普通の非言語コミュニケーション入門じゃん、と思った人は、この文脈とは独立してあの課題を読んだというわけだ。)

その事自体は別におかしくはない。実際、日本社会にそういう文脈はあるし。 ただ、アレを見て「空気読みの訓練なんて日本的!」と思った人のうちどのくらいが、 このロジックに自覚的であったかどうか、は気になる。 無自覚にそう解釈したなら、それは結局、日本にいて空気に無自覚に縛られてるのと大差ない。

空気を察することと、それに縛られること、を分離して考えれば、めいろまさんが挙げている日本の問題は後者に由来することがわかるだろう。両者を分離するという観点を持たずに、縛られてしまっている人に対して、その縛りを解くためにとりあえず「空気を読むな!」と言っとくのはありだと思うけれど、それによって「空気を察すること」という前段までも捨ててしまうのは、ちとまずいと思う。

なお、「アメリカやヨーロッパでは小学生にあんなこと教えない」というのはその通り。 ただ、異なる文脈に日常的に触れる機会がある社会ではいちいち教えなくても 「文脈は人それぞれ」ということがわかり、縛られることが少ないから、 必要性が低いだろうと考えられる。均質性が高い社会で、空気から独立するためにこそ、 ああいう課題がより重要だとは言えるだろう。

あの課題を「素直に」(日本的な空気を読まずに)読めば、求められているのは 非言語メッセージから相手の内部モデルを考えるという課題の入り口だということがわかる。 これは、Paul Grahamが「共感する力」と言ったことの入り口でもある。 それがなぜ重要かはPaulの言葉を借りておこう。

ハッカーと画家 ---Hackers and Painters---

絵画と同様、ソフトウェアも多くは人間が見て、使うものだ。 だからハッカーも、画家と同じように、ほんとうにすごい仕事を為すには、 共感する力が必要だ。 ユーザの視点からものを見られるようにならなくちゃいけない。

私は子供の頃、いつも、人の身になってものを考えなさいと教えられた。 実際にはそう言われる時はいつでも、自分のしたいことじゃなくて 他人の望むことをしなさい、という意味だった。 だから共感なんてつまらないものだと思って、私はそれを磨こうとはしなかった。

だが、なんてこった。私は間違っていたんだ。 他人の身になってものを見るというのは、本当は成功する秘密だったんだ。 それは自己犠牲を意味するとは限らない。他の人のものの見方を理解することは、 あなたがその人の利益のために行動しなくちゃならないということには 関係ないんだ。特定の状況では、例えば戦争をしている時は、 まったく逆の行動をしたいと思うだろう。

[...]

共感能力は、おそらく良いハッカーと偉大なハッカーの、 たった一つの最も重要な違いだろう。 ハッカーの中には非常に賢いが、共感するということにかけては 全く自己中心主義の人々がいる。 たぶんそういう人が偉大なソフトウェアをデザインするのは難しいだろう。 ユーザの視点でものを観ることができないからだ。

Tags: 文化, 生活

2014/05/18

リストを交互に分配

お題: (リストを交互に分配) -  分室の分室

分かり易い題名が浮かばなかった。やりたいのは、こういうこと。

(x0 y0 x1 y1 x2 y2) → ((x0 x1 x2) (y0 y1 y2))

Schemeなんだからリスト処理は得意…のはずなんだけれど、

  • 繰り返しごとに複数の要素を消費する
  • 繰り返しごとに複数の値を蓄積する

といった問題に使えるツールは、標準やsrfiにいまいち揃ってない印象がある。

Gaucheの場合はslicesが手軽。ワンライナーでいける。

(define (alternate1 lis)
  ($ apply map list $ slices lis 2))

但しこれは一度中間リスト((x0 y0) (x1 y1) (x2 y2))を作る。 それを嫌うなら遅延シーケンス。applyを使うと適用前にシーケンスを現実化してしまうので、 srfi-1のunzip2を使おう。

(use gauche.lazy)
(use srfi-1)

(define (alternate2 lis)
  ($ values->list $ unzip2 $ lslices lis 2))

(実はlazy版のlslicesはこのエントリを書きながら気づいて足したので HEADのGaucheでないと使えない。)

標準だけ使う縛りの場合は、素直に再帰するのが結局は一番簡単になるような気がする。

(define (alternate3 lis)
  (let loop ([lis lis] [xs '()] [ys '()])
    (if (null? lis)
      (list (reverse xs) (reverse ys))
      (loop (cddr lis) (cons (car lis) xs) (cons (cadr lis) ys)))))

consしていってreverse、というパターンはリストを一回余分にコピーするので 無駄なようだが、多くの場合、アクセスのローカリティは高いしそれほど気になることはない。 入力の長さが短くて、集める値がひとつだけの場合は非末尾再帰で書いてreverseを省く、 という手はあるのだけれど、集める値が複数だと多値を持ち回るのでそれほどわかりやすくならない。 (集める値が2系統だが、繰り返しごとにひとつの値だけを消費する、という場合は fold2が使えるんだけど)。

この点、Common Lispのloopは柔軟だ。

(defun alternate-l (lis)
  (loop for (x y) on lis by #'cddr
    collect x into xs 
    collect y into ys 
    finally (return (list xs ys))))

loop の仕様はひどくごちゃごちゃして見えるけど、いろんなケースに対応できるように 考えられてはいる。

Tags: Gauche, Scheme

2014/05/17

ローコンテクストな会話をするためには、何がコンテクストかを知る必要がある

「空気を読む」のは日本人だけじゃないよ(参考1,参考2)とか、 国語の「登場人物の気持ち」は重要な設問だよ (参考3,参考4)といったことをこれまでも書いてきたけど、それに関連する話。

「グローバル」化が進むと、これまでの日本文化の「空気を察する」という ハイコンテクストな会話は通用しないから、 国語で「登場人物の気持ち」を考えさせるよりは、 ローコンテクストで論理的な表現の読み書きを教えた方がいい、という意見がある。

確かに、(今は変わっているかもしれないが)私が受けた国語教育は、 文学的な読みと、言語による表現の基礎という要素が同居していて、 しかも前者に重きが置かれすぎている印象があった。 これについては、両者を分離したうえで、 言語による表現は(いわゆる文系/理系といった)進路にかかわらず 基礎的なスキルとして教えたらいいんじゃないかと思っている (参考5)。

ただ、文学的な読み以前の、コミュニケーションの基礎技術を教えるにあたっても、 『空気』で あげたような教育は重要だと思うのだ。

ここを誤解する人がいるようなんだけど、ポイントは「空気を読むことを教える」ことではない。 「私たちは、多かれ少なかれ、何らかの空気を読んでいる」という事実に 早いうちに気づかせることである。 (アスペルガー症候群のように「空気を全く読めない」性質を持っている人であっても、 「周囲の人間は空気を読んでいる」という事実を知っておくことは有用だろう)。

ローコンテクスト、つまり「空気」を共有しない会話をするためには、 まず自分や相手が依拠している「空気」が何かを知る必要がある。 しかし無意識のうちに「空気」を読んでいる人は、自分が何を暗黙の前提として 話しているのか意識できないだろう。また、「空気」が一種類しかないと 思っている人は、相手が「空気」を読めてるか読めてないか、で判断し、 相手が自分とは違う「空気」に依拠しているとは思わないだろう。

必要に応じて、会話における「空気」の共有量=コンテクストの量を調整したり、 相手の「空気」についての仮説を立てて動的に調整したり、というスキルは 「空気」の通用しない相手と会話をする時にこそ、必要になるのだ。

別の文化に移住する経験、例えば日本で育ってアメリカで働き始めたりすると、 空気の通じなさを思い知って自ずと気づくことになるのだけれど、 ネットを通じて誰もが異文化圏と直接接する機会がある現代では、 複数の文脈を意識することを基本的なリテラシーとして教えることは むしろ重要になっていると思う。

(なお、「空気を察する」ことと「それに合わせる」ことは別問題である。 日本で「空気を読む」と言った場合、「合わせる」ことも含意するので 話がややこしくなっているのだが、 これも「一種類しかないため、分けて考えられない」例だと思う。)

Tags: 文化, 表現

2014/05/17

ピアノレッスン129回目 / 3周年

  • Chopin: Barcarolle
    • ダイナミクス良くなった
    • 導入部、どういうふうに聴かせたいのかがよくわからない。3連符ごとにまとめるのか、 アウフタクトな感じのフレーズにしたいのか、迷ってるように聴こえる。 どちらを選ぶかは自由だけれど、やりたいことを明確にするように。

ところで気づいたら今月頭でレッスン再開後丸3年になっていた。 3年目にやった/やっている曲メモ (2年目, 1年目)

  • バロック
    • Bach: Well-Tempered Clavier, Book I No. 3 C♯ major
    • Bach: Well-Tempered Clavier, Book II No. 5 D major
  • 古典
  • ロマン
    • Brahms: Rhapsody Op.79 No.2
    • Chopin: Barcarolle Op.60
  • 近現代
    • Scriabin: Sonata No.4 ()
    • Kapustin: Concert Etude Op.40 No.1 "Prelude"
    • Kapustin: Spice Island Op.117
    • Ravel: Ondine

昨年仕事が忙しくて結構休んだのもあるが、AIPFでScriabinをやってから レッスンでも1曲1曲についてより深くやるようになってる感じで、曲数そのものは減ってる。 ただ、表現することにアプローチするってのはこんなふうなことなのかな、っていうのがやっと おぼろげながらわかってきた気がしてて、その意味ではより楽しくなってきた。

Tag: Piano

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