Island Life

< The Mist | 趣味2 >

2008/04/25

趣味

住みたいところに住める俺より、 村上龍氏の「無趣味のすすめ」を孫引き:

現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、 洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、 ときには変えてしまうというようなものではない。

だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、 人生を揺るがすような出会いも発見もない。 心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。

真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、 常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。

つまりそれらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。

趣味を訊かれるといつもちょっと困る。 私には趣味と仕事の違いがよくわからないからだ。 継続して力を注いでいることはどれも自分にとっては人生に関わる重要なことがらで、 そのうちのひとつであるプログラミングがたまたま喰っていける収入をもたらして くれたので、それを仕事と称しているにすぎない。

世間的には、それで金を稼いでいれば仕事、そうでなければ趣味、という ことになるのであろうが、それではday jobをこなしながら喰えない舞台俳優を 続けている人にとって、舞台は何なのだろう。喰えていないなら、仕事ではないの かもしれない。でも「趣味」には、人生を賭けるほどのことではないという ニュアンスがある。彼らはday jobを変えることはあっても、舞台を完全に やめてしまうことはないだろう。 そういうものを趣味と呼ぶのは失礼にあたると感じる。

とは言っても自分のやっていることになると、それによってまとまった収入を 得ていないもの、あるいは到底収入を得られる域に達していないものを「仕事です」 と言うのには抵抗がある。自分にとっては人生に関わる重要なことであるけれど、 それが収入に結びつくレベルには至っていないという自虐的なニュアンスを込めて それを「趣味である」と言うことはある。また趣味を訊かれたらそういうものを 答えることもある。 だが本来の意味での趣味ということなら、「無い」としか言いようがない。

それによって収入が得られるかどうかということは、 自分がそれに賭けているかどうかのひとつの目安になることはあるだろう。 普通は、中途半端にしかやらない人よりは責任を持って 結果を出してくれる人の方に金を払いたいと思うからだ。 ただ、金銭のやりとりは直接的には需要と供給の関係で決まるもので、 仕事の質は副次的な要因にすぎない。 ピアノを人に聴かせて充分な収入を得て行くには 世界的にもトップクラスでなければならないけれど、 プログラムを書いて充分な収入を得て行くためにICPCで優勝する必要はない。 単純に、後者の方が需要がはるかに大きいからだ。 将来、実用プログラミングが全自動化され、 人間が行うプログラミングがすべてCode Golfになったら、 プロのプログラマとはCode golf competitionで優勝して賞金を稼ぐ人を指すように なるかもしれない。

また、結果の相対的なレベルと、その結果を出すことでどのくらい本人の人生が 変わるかということにも、あまり関係は無いのではないかと思っている。 たとえ出てきたものが周囲から見て稚拙であっても、 それが本人の人生への挑戦から出てくるものであるなら、 そういう活動は趣味というべきではないだろう。 (これは、「結果は出なくても努力すれば良い」という努力主義とは異なる。 人生に向き合わない単なる苦行で流す汗と、 山の向こうの世界を見るために流す汗は違うものだ。)

結果を他人に見せてフィードバックを受けるというのは、 自分の活動がただの自慰に陥っていないかどうかのチェックである。 他人の賞賛を得るためにやることではない (そりゃ褒められれば嬉しいけど、 それはおまけ)。

もしかすると、趣味と仕事の関係というのは ありがちな2次元チャートで示すならこんな感じなのかもしれない:

[image]

私がやりたいことは常にこの図の右半分にある。それが収入に結びつくかどうかに 関わらず、それをやることで新しい世界を見られることを やっていきたい。「趣味」に時間を費やすには人生はあまりに短い。

Tag: Career