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< ピアノレッスン26回目 | 祈りの機能 >

2011/12/08

行動の源2

先日、「人間の行動の源泉は好奇心と表現欲に集約される気がする。」って書いたのだけれど、 その時ひとつ引っかかってたことがあった。 「困っている他人を見て行動を起こす」っていうのはどうなるんだろう、ってこと。

アンフェアな扱いを受けている他人を見て状況を変えるために行動を起こす、 というのは、これは表現欲だ。「世界はこうあるべき」というのは脳内の思念であって、 現実をそれに合わせて変えようとするのは、脳内の概念を外部化する行為=表現に他ならない。(これがコジツケに聞こえるなら、「あるべき世界」というのが 自分の外にアプリオリに存在すると思っているからだろう。でも現実の世界が そうなっていないなら、そのあるべき世界はどこにある? それは自分(や主義を同じくする人々)の頭の中にしかない。)

でも、周囲や社会を変えようとするのではなく、ただ困っている人をみて 寄り添いたい、と思う行動もある。そういう行動の源泉はなんだろね。 やっぱり愛かな、愛。

Tag: 生活

Past comment(s)

mamikun (2011/12/09 06:54:39):

「利他的な行動はどう説明されますか?」って質問しようと思ってたら先に書かれてしまいましたね。更に強いて書くなら「なぜヒトには愛があるか?」です。

shiro (2011/12/09 08:29:34):

どうかなあ。あまり深入りせずに、現在の考察のレイヤに止まって答えるなら、好奇心や表現欲がプログラムされているのと同程度にはプログラムされているとは考えられるかも。(愛ってのはちょっと範囲が広すぎるけど。ここで考えてる行動なら、メカニズムとしてはミラーニューロンがどうとかそういう話になるのかもしれん。)

えんどう (2011/12/09 11:37:03):

利他的な方が(集団全体の)生存確率が上がるからという理由はどうでしょうか。フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」での人間とアンドロイドの違いは感情移入できるかどうかだったのを思い出した。

shiro (2011/12/09 21:27:24):

Voight-Kampffテスト! >えんどう

返事を書いてたら長くなったので別エントリ起こします。

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