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2016/09/18

Mai Poina in Maui / 演出家の仕事

毎年9月にやって8年目になる "Mai Poina: The Overthrow" walking tour、 今年はマウイへの遠征公演もあって、昨日帰ってきた。

本公演はイオラニ宮殿の敷地にて、実際にその出来事が起きた場所を見ながら 当時の人物に扮した役者が出来事を語る。でもマウイ公演では劇場の舞台での パフォーマンスになるので、舞台向けにアレンジしなければならない。 どうやるのかな、と思ってたけど、元の演技はほぼ変えることなく、 公演全体をブレヒト的な枠に収めることであっさりと生まれ変わらせてしまった。 演出家のこういう手腕はほんとに見事だなと思う。

何度か演技のクラスで一緒になった俳優のDennis Chun氏は 役者の仕事は"how to make the scene work" を考えることだ、 と言っていた。とすれば演出は "how to make the play work" を担当するって ことかもしれない。

うまいなと思う演出家って、「こういう演技をしてくれ」とは決して言わない。 芝居全体に一貫性を持たせる枠を設定したり、キーポイントでの解釈を 決めたりする。それに沿って「シーンを成立させる」ように演技してれば自然に 芝居が形になる感じ。「役者をのせるのがうまい」ということなのかもしれないが。

役者の解釈が持ってきたい方向と違っていた場合、良くあるのは、演出家が 別の解釈を提案して"Does that make sense to you?"って聞いてくることだ。 解釈が腑に落ちれば、そこから出てくる表現は何であれ「正解」のはずである。 (もともとそうなるような役者をオーディションで選んでいるのだから。 正しい解釈をしているのに表現ができない、という役者は選ばれていないはずである。)

表面的な表現だけをいじること(「もっと怒りを出して」とか)はあまり 良いディレクションではないと感じる。もちろん、そう言われれば役者としては もっと怒りを出す必然性があるような解釈を新たに探すわけだけれど。 幸い、そういう演出や監督に当たったことはほとんどない。

演出や監督の、こういう面というのは、現場経験者以外には案外知られてない ことかもしれない。表現に対して注文をつける仕事だと思われてる節もある。 表現は役者の責任だ。芝居全体にハマるような表現が出てくるように誘導するのが、 演出の仕事、という感じがする。

Tag: 芝居

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