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2011/01/08

仕上げのモチベーション

ものをつくるときって、完成に近づくにつれ、完成度を少し上げるのに 要する労力が指数的に増えて行く感じがする。 d(完成度)/d(労力) ∝ 1 - (完成度) って感じ。

だいたい何でも、完成度4〜5割で全体が見えてきたあたりから完成度8割くらいの ところまで持ってゆく時が一番手応えがあって楽しい。手を入れる度に 良くなってゆくのがわかるから。 完成度8〜9割のあたりで、だんだん楽しさよりも使命感というかプライドというか、 明らかに未完成なものを出したくないよな、っていう想いの方が支配的になってくる。 9割とか9割5分を過ぎるとむしろ執念。

でも、この最後の1割を追い込むかどうかで、出来上がりの持つ存在感というか 重みというか、が違ってくる。100%の仕事というのはなかなか出来るものではないけど、 (そもそも上の微分方程式の解は (完成度) = 1 - C・exp(-(労力)) なので 完成度を1にするには無限大の労力が必要になる)、90%で止めとくのと、97%までやる、の 違いは、例えばぱっと見で「お」と思ってもらえるかどうか、とか、 ざっと見た時に興をそぐような瑕疵がない、とか、 使い込んでも脆さを露呈しない、とか、色々なところに現れてくるような気がする。

もちろん仕事でやる場合は常にコストとの見合いだから「やりすぎ」に 気をつける必要があって、最後の方は完成度をちょっと上げるだけでコストが 跳ね上がるから何をどこまでやるかの見極めは重要なんだけど。

ただ、この9割過ぎてからの作業って、モチベーション保つのがしんどいんだよね。 文章ならもう内容はすっかり頭に入ってる(つもり)のものを何度も読み直すとか、 演奏や演技ならひととおり通して出来るようになってるものを客観的に分析して 何が足りないか探すとか、 プログラムなら既に動いてテストも通ってるんだけど抜けてるエッジケースが 無いか今一度確認するとか。

秀でる人っていうのはこの9割から先の作業を嬉々としてこなせてしまう人なのかも しれないけれど。なかなかそういうふうにはいかない。飽きがきちゃうんだよね。 ずーっと同じものを眺めつづけることになるから。依頼された原稿とか、 一度入稿したらもう見るのもうんざりだもの。

ただ、そこを楽にするコツはあるかもしれない。アプローチを変えることで、 繰り返し作業になるのを避けるのだ。

ちょうど先ほど、Gaucheのマニュアルの英文しかないところに和文をつけてたんだけど、 和文を改めて考えることで、英文で足りなかったところとか、さらにはAPI自体の不足が 見えてくる。APIだけを何度も検討したり、英文マニュアルだけ何度も推敲するのは しんどいけど、和文という別の角度からのアプローチをつけると、それ自体は新鮮な 作業なので飽きがこない。

ピアノでも、最近完成度をもうちょっと上げたいなと思うようになったんだけど、 なんとなく弾けるようになってから先がやっぱりつらい。 裏拍の練習とか、 リズム変奏してみるとか、何か変えてみると新鮮で、新しい発見があったりする。

演技においては、何十回と繰り替えしリハーサルしたシーンを、 毎回「初めて経験するように」演技しなくてはならない。 これは未だに難しくて、良く使っていたのは本番の前に毎回新しいネタで集中するとか 新しい設定を持ち込むとか、そのくらい。マイズナーテクニックをきちんと使えるように なると打破できるんじゃないかという気がする。

こういったブログの文章なんかは5割くらいの完成度で投げっぱなしに してしまうので楽なものだ。ブログをいくら書いても文章の練習にならないと 思うのはそのためだ。(毎エントリがっつり練って校正するなら別だけど、 それはもはやエッセイ集だな。)

Tags: ものつくり, Programming, Piano, 芝居

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