Island Life

< プログラミング言語の進化 | 登場人物の気持ちを述べよ >

2009/10/04

空気読み会話は日本人の専売特許じゃないよ

国語を勉強すると空気が読めるようになる?

習った当時はなるほど、と感心したものだが、20年近く経って改めて思い出してみると、まったく恐るべきハイコンテクストというか、空気読み会話である。時計の箇所など、発される言葉のすべてにメタメッセージが載せられている。人間同士が会話のキャッチボールをしている背後で、スタンド同士がドドドドドドドと擬音つきで殴りあっているようなもの。西洋人にはおよそ理解できない、いかにも日本的なやり取りだろう。

その作品を読んだことはないのでもしかすると想像を絶する空気読み会話なのかも しれないけれど、一般的に言えば、会話文にメタメッセージ(subtext)を 載せるのは現代のテキストなら洋の東西は問わず普通のことで、 上のブログで紹介されている作品も解説を読む限りでは 「西洋人に理解できない、日本的なやりとり」であるようには見えない。

近代以降の戯曲やシナリオを読む場合は「登場人物は本音を台詞では語っていない」と いうのは出発点であって、良くできた芝居や映画では(たとえ「ハリウッド映画」で あろうとも良作なら)全ての会話シーンは「人間同士が会話のキャッチボールをしている背後で、 スタンド同士がドドドドドドドと擬音つきで殴りあっているようなもの」と言ってよい。 だってそう作ってるのだから。

しばしば英語圏での会話には腹の探り合いとか空気の読み合いが無いと思われる ことがあるが、それは異なる文化を持つもの同士が、 コンテキストを共有していないという自覚がある場合に、 敢えてノーコンテキストでストレートな会話をしているだけだ。 英語文化圏や英語文学自体に日本文化圏や日本文学に比べ コンテキストや空気の読み合いが欠如しているわけではない。 「わかりやすい」ハリウッド映画やsitcomは、 気楽に観れるようにわざとそう作っているってだけにすぎない (それが視聴者を適切に扱っているのかどうかは別。 なおsubtextの欠如という点では日本のテレビドラマの多くも どっこいどっこいに見える。)

Tags: 芝居, 表現