Island Life

< 理科の用語 | ピアノレッスン92回目 >

2013/05/08

「日本語だと言いたいことが言えるけど、英語だと思うように話せない」っていうのには 複数の理由があると思うんだけど、単純に言葉を扱うスキルが足りないからって要因も確かにあるだろう。

中高で6年も英語をやったのに、というが、中学高校での授業時間は全部足しても1000時間くらい、学習語彙が2000-3000語。基礎といえる範囲はカバーしてると思うけれど、 「思うように話せる」を基準にするなら、むしろたったそれだけしかやっていないと言った方がいい。

外国語としてやる場合は体系だてて学習するから、英語圏の子供の学習過程と比較は出来ないけれど、そこを乱暴に比べるなら、英語のプレスクールに1日6時間、年間30週で3-5歳の間通うと2700時間英語に触れてることになる (らむ太の場合、家では日本語オンリーだったこともあり、英語が積極的に出るようになるまでもっとかかった。) 語彙についても、ネイティブスピーカーの子供が小学校に上がるあたりで5000-6000語という話がある。よっぽど効率良く学んでない限り、中高でやった英語が「英語圏の小学生並み」であっても不思議はないんじゃなかろうか。らむ太(小1)の宿題を見てても、文法要素や単語数では中学校3年間の範囲とどっこいどっこいという感じがする (もちろんこちらの小1レベルでは、厳密な英文法の仕組みとか、概念的に高度な単語なんかは出てこないけど。むしろ何の説明もなく現在完了や不定詞が出てくる。文法については今のところ、品詞の区別 (article, adjective, noun, verb, adverb) くらいまでだなあ。)

で、それは全然悪いことではないと思う。

ピアノを長年やって難曲レベルが弾けるという人が、新たにバイオリンを始めたとして、いきなりバッハのパルティータには挑戦しないだろう。「ピアノでなら思うように/カッコよく弾けるのに」というふうに思っちゃったら、ごく簡単な曲をひたすらさらうのが苦痛になるかもしれない。でも最初は弾けなくて当然だよね。ピアノだって平均律クラヴィーア曲集が弾けるようになるまで段階を踏んだわけだし。

いきなり高望みするより、ほほうこの楽器はこういうふうにも鳴るのか、とか、ついにこの音が出せるようになったからやっとこの曲が弾けるぜ、とかやってる方が楽しいし、結果的に長時間集中して練習することにもなる。

英語だって、「自分はスキル的には小学生レベルだ」と割り切って、そのスキルレベルでどうやって表現してやろうか、を考えると、思うように喋れないもどかしささえも案外楽しめるものだ。知らないことがあったり間違えたりしても恥ずかしがることもない。

とか、今日も笛を吹きながら思った。なお、最初は音が出るだけで楽しかったのが、 だんだんピッチがひどいのが自分でわかるようになってきて苦闘している。 でもピアノでは奏法でピッチを変える、ということができないので、これはこれで おもしろい。メロディの上行と下行で微妙に経過音のピッチを変えられるとか。

Tags: 英語, 表現

Post a comment

Name: