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2012/09/14

映画は編集によっていかようにも化ける。有名な例:

役者は皆このことは知っているので、出来上がった映像に対して 「そんなつもりで演技したのではない」ということは普通言わない。 監督が考える理想の形を実現するための、最良の素材になるべく努力するし、 そのためにいかように切り刻まれても構わないと覚悟する。 関わる人間みんなが、良いものを作ろうとしている、という信頼があるからだ。

偽の脚本で集められ、撮影後にセリフを吹き替えられて全然違うストーリーに 編集されてしまう、ということをされると、これはもうどうしようもない。 事前にチェックのしようがないし、相手が騒ぎを起こすこと目的でモノをネットに流して 雲隠れしちゃったら、事後に打てる手もほとんど無い。 これは役者の立場からはちょっと恐ろしすぎる。

音声は今やかなり簡単にいじれるし、編集も個人でできる。 出資者にはダミーの説明をすれば良いし、 監督は売れてない人間に報酬と名誉をちらつかせれば巻き込める---全く意図を知らせないのは無理だとしても、 プロデューサの立場で関わって必要なショットを撮らせることはできるだろう。

原理的には、組織など無くても、一人の人間が、武器も取らずに、暴動を誘発して犠牲者を出すことが可能だということだ。

現実のジョン・ポールはもはや、相手国中枢に潜入する必要もないのかもしれない。

Tags: 社会, 芝居

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