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2015/11/01

上手下手ではなく

ここ数日の翻訳の話で「叩き台に達しないレベルがある」と 書いた点について、自分の翻訳はレベルに達していないのではないか、 しかし誰かに見てもらうにしてもそういう人の時間を取ってしまうのは迷惑なんじゃ ないか、と心配になる向きもあるようだ。

大丈夫。何も翻訳レビューとか翻訳指導を頼むわけじゃない。 「これを叩き台としてみんなで改善してゆきたいのだが、可能だろうか」だけを聞くんだ。 それなら、原文を読んだことのある人は、1~2ページ読むだけで答えられる。

そう、分かる人ならたかだか10分程度で判断できる、その程度の話なのだ。 (それ以上読み込まないと判断できないようなら、多分叩き台としてのレベルはクリアしてる。)

上手い人が「下手糞は引っ込んでろ」と言うのとは違う。 むしろ上手下手という評価に載せる以前の話だ。 このチェックをクリアできないというのは、 ゴールに向かって走るはずなのが、全然見当違いの方向に走っちゃってる、とでも言おうか。

どうしてそうなるんだろう。仮説をふたつ考えた。

  1. 作業者は、作品の質に関心が無い。より良い作品を出すこと以外の何かを目的としている。
  2. 作業者は、何をどうしたらよいのか本当にわからない。わからないなりに独断で どんどん進んだ結果ゴールとはかけ離れたところに到達してしまった。

1は、作業者にある種の悪意---何かを積極的に潰すという悪意ではないけれど、 関心の不在、愛の不在によりなされる悪がある---を仮定せざるを得ない。 オリジナル作品ならば、それでも悪は作品だけに及ぶので特に問題はないが、 翻訳の場合は影響が原著の内容に及ぶ(翻訳しか読めない人にとっては、 翻訳の評価が原著の評価となる)ので大変にまずい。

しかしハンロンの剃刀により、私自身は2の仮説を支持したい。 誰だって、知らない分野については最初はcluelessなのだ。 (いや、知ったつもりになってて実は知らなかったとわかること、もたくさんあるので、 実はどんなレベルの誰にでも起こり得ることではある。) そう思って一連のエントリを書いた。

もし一連のエントリを読んで、自分の翻訳を出していいのか自分で判断できないと 思った人がいたら、私の詳しい分野については私に尋ねてくれて構わない。 尤も、コンピュータサイエンスやプログラミングの分野に限っても、 私の知らない分野はたくさんあるので、判断できない場合もあるだろう。 別のお勧めとしては、その分野のコミュニティで尋ねてみることだろう。

(1の場合だったとすると、作業者はそういう心配さえしないだろうから、 一連の文章は届かないだろう。それは仕方ない。 ただ、読者の方に良い判断を期待したい。出てきたものに対して誰かが 叩き台にすら乗らないと評したなら(そしてあなた自身で判断できないのだとしたら)、 その成果物は明後日の方向に行っちゃってる可能性がある。 他の人の訳と比べるといったこと自体がナンセンスなのだ。)

ちょっと面白いなと思ったこと。 ナイーブに考えると、閉じた関係の中で晒すより 不特定多数に晒す方が勇気がいると思うんだ。 友人の前で演奏するのと往来で演奏するのでは後者の方がはるかにおっかない。

ところが「ネットの不特定多数」だとこれがむしろ逆転する。 閉じた関係は下手を打つと失われる可能性があるけれど、 ネット上のランダムな関係なら失われても構わないからか。

でも、成果物に対する愛があるなら、少しだけ、恥をかく勇気を出して、 顔の見える人に評価を仰いでも良いのではなかろうか。 多分、思っているよりハードルは低いよ。

Tags: 翻訳, 表現

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